パブコメ募集は意味不明

  20, 2013 13:15
更新できない、と言いつつ、やっぱり書きたい事が出てきてしまいます。

原子力規制庁のパブリックコメントの募集が28日までと迫っていたので、取り急ぎ意見をまとめてみたのですが、いざ送信しようと思って「注意事項」を見ていたら以下の様な記載がありました。


下記に該当する場合は、ご意見の一部を伏せること、または、ご意見として取り扱わないことがあります。

・ご意見が「発電用軽水型原子炉施設に係る新安全基準骨子案(設計基準及びシビアアクシデント対策)」と無関係な場合
・ご意見の中に、特定の個人を識別することができる情報がある場合
・特定の個人・法人の財産権等を害するおそれがある場合
・特定の個人・法人の誹謗中傷に該当する場合
・事業・ホームページ・思想等の宣伝・広告に該当する場合
・入力された情報が虚偽であると判明した場合

多分、一番目と二番目の基準でボツにされると思う。(学者さんが“個人”にあたるかどうかは?ですが。)

だいたい、原子力発電を継続させたいなどという気持ちは毛頭ないので、資料を読んでも無意味だと思って読んでもいないし、これによれば、おそらく私の意見を送っても採用されないだろうと思い、ここに掲載することにしました。

原発をやるかやらないかという事は、経産省で決める事なので、規制庁に言ってもダメだそうです。なので、以下の意見は、今回のパブコメ募集の要件とはかなりかけ離れてしまいました。
それでも、せっかく?書いたので(と言うか時間がないので)、そのまま掲載します。

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・資料を読んだ上で意見を募集するといった形態を取っているが、一般人に、これだけの資料を読破し、理解し、それから意見をまとめる時間のある人は限られている。もっと意見を出しやすい仕組みにするべきではないだろうか。

・また、パブリックコメントの募集期間がなぜ1ヵ月という短期間なのか。募集を知らない国民も多く、テレビでも取り上げる事が少ないのは、意図的に広く周知をする事を避け、にもかかわらず、形ばかりの意見募集を行い、その事を根拠に「国民から意見を聞いた」という既成事実をつくり、体裁を整え、大義名分とする為ではないのか。

・意見募集の内容は「原発新安全基準」としているが、原発がいかに危険なものであるか、先般の福島の事故で嫌と言うほど露呈してしまったのに、「安全な基準」などという発想自体が絵空事である。

・先日、ロシアに落下した隕石の事例を鑑みても、現在、世界中に400基以上もある原発施設や使用済み燃料施設等に、この様な隕石や人工衛星の破片等が落下しないという保障もないのに、これ以上の原発施設を増やす事は人類の自殺行為である。国民の命を人質にした原子力政策を一方的に推し進める事は断じて見過ごす訳にはいかない。

・隕石等の落下のみならず、テロや他国からのミサイル攻撃を受ける事も当然考慮しているはずであるが、日本全土を「核ミサイル攻撃」の危険にさらす様なものに電力を頼る事自体が、国家破壊政策だと言える。

・そもそも原発稼働が前提になっているのはなぜか?他のエネルギー政策への転換、あるいは、原発を廃止するという選択肢があって然るべきではないのか。国民に、原発廃止の選択肢を与えない事は、国として、政府として、国民への冒涜以外の何物でもない。

・この、原発稼働を前提とする「新安全基準」などというものが、形ばかりの「意見募集」を経て、計画通りの内容で決定、採用されたとしたら、電気事業に絡む利権を優先し、国民の命を軽視していると批判を受けるのは明白である。

・また新安全基準検討委員の中には、電力会社などから多額の寄付金を受け取っていた人物が4名いることが明らかになっており、その様なメンバーでは、国民の利益と安全を第一に考えた客観的な判断がなされるとは到底思えない。電力会社に有利な結果になる事は自明である。原発事業を推進したい企業が、原発事業の推進に不利な発言や判断をする人物に多額の寄付金を渡す理由がないからである。

・このように、本当に「安全」を担保できるのか甚だ疑問に思える「基準」を制定する為に、大学教授や学者を「規制委員」に任命して形ばかりの議論をし、その学者たちに報酬を支払い、事故が起こった際には、「想定外」や「不可抗力」、「予測不能」などを理由に、自らの責任はうやむやにし、復興や補償を国民に負担させる原発を継続しなければならない正当で明確な、国民が納得し得る理由が、まったく見あたらない。

・予測不能、回避不可能であれば、別の方法を考えるのが、国民の命を預かり、責任ある立場にある者が取るべき政策である。火力でも十分に電力は供給できるにもかかわらず、一基でも事故が起きれば、世界規模の放射能汚染、拡散という、計り知れない危険なリスクを伴うものに固執する必要など全くないのである。

・そうでないとするならば、「原発でなければならない理由」、及び、他の発電施設に比べてどれだけ有利であるのか、どれだけ経済的であるのかを、明確に示すべきである。と同時に、その論理に異を唱える学者や有識者の意見も十分に提示されなければ、国民は適切で妥当な判断ができない。

・受動的な国民は、テレビの報道や新聞から主に情報を得ている為、これらで報じられない事に対しては、あまり関心を持っていない、または知らないのが現状である。主要メディアが、推進・廃止、両方の見解を平等に、また時間をかけて報道し、国民の関心や意識が高まった上で、国民の判断を仰ぐべきである。国民が知らない間に、密かに決めてしまうのは意図的とさえ思える。これだけ重要な、しかも命に関わる事が決定されようとしているにも関わらず、低俗な娯楽番組やバラエティに時間を割くメディアのあり方には、呆れるばかりである。

・『原発が危険なもの』だからこそ、何重にも対策を講じなければならないのであり、住宅密集地に設置しない事で、自らがその危険性を「証明」していると言える。結果、立地対策費用から住民への補助金、建設・維持・点検・廃炉費用に巨額の費用を投入し、増え続ける放射性廃棄物の処理に於いても、何百年、あるいはそれ以上の長期にわたって管理する為に更なる費用が必要となるのである。それらは全て税金や電気料金として、国民に負担させているのである。民間企業が行う事業としては、とても採算が合うものではないのに、なぜこれほどまでに原発にこだわるのか。電力の安定供給という建前ではあるが、別の意図や目的があると思われても不思議ではないし、実際、その事を国民は気付き始めている。これ以上、陳腐な理由を並べて国民を納得させる事は、もう限界であることに早く気付くべきである。

・既に、汚染物質を排出しない正真正銘の「安全でクリーン」なエネルギー技術が確立しつつあることが報じられ始めている今、原発を稼働させなければ、どうしても電気が足りないという主張と共に、それらの技術を採用できない理由も、国民にしっかりと説明する責任がある。そして、それらの選択肢を明確に国民に提示し、その上で国民に選択をさせるべきである。

・仮に、「反重力・磁場を利用したエネルギー」や「マグネシウム発電」といった、本当の意味での安全な新技術が確立しつつあるにも関わらず、それを国民に隠していた事、あるいは故意に知らせずに、危険を伴う原子力政策を継続していた事が発覚した際には、国民への重大な背信行為として、全ての関係者はその責任を追及されなければならない。

・原発稼働を前提とした枠組みの中だけの議論や意見募集など、今現在の技術開発を全く無視した、時代錯誤も甚だしい施策である。真に国民の利益を考えるなら、原発を廃止し、新エネルギー技術を発展させ普及させる事の方が、誰が考えても妥当であり、経済的であり、人道的な政策であると言える。今こそ、省庁や政治家、事業者などが、自分たちの利益ではなく、国民の利益(単に金銭的という意味ではなく)を考え、国民に信頼される真の国家になる事を望む。

・民間企業が行う事業である以上、利益追求が優先されるのは必然である。原発が一番コストが高いエネルギーである事は、何よりも今回の事故で立証されており、それでも尚、原発稼働を強行するただ一つの理由は、国民の安全より企業の利益が優先されているからに他ならない。


以上の理由をもって、私は原発廃止を強く要望します。

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こうして読み返してみると、かなり過激な事を言ってますね。私。 
でも、一国民として“率直な”考えを書いているだけなので、文句を言われたらその時にまた考えます。

それにしても、様式だとか何とか、わざと分かりにくくしていると思えて仕方ありません。

規制庁へ電話で聞いてみたら、今回は「骨子案」に対する意見募集なので「骨子案」の内容に沿った意見しか採用されない(場合が多い)ということであり、「本案?」の時はまた意見募集するそうです。

パブコメへの投稿はちょっと保留にしますが、ここに書いて、ささやかな抵抗をしてみました。



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